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夏のバイト代で貯金が出来た。大学のSecurityでLockoutするたびにお世話になるCarlに相談して車を買うことにした。一番安い車がシボレーのImpala。800ドル。支払いの時免許証をまだ取ってないことに気が付いた。その日に取りにいった。筆記試験が20問。そして実地試験となった。担当者に車はどこにあるんだと聞かれた。免許がないから取りに来たのに、実地するから車持ってこい。鶏か卵か。車を取りにいって、それで実地試験。右、左、バック、駐車。はい合格。5ドルだった。それにしてもぼろ車だった。アクセルを踏むと、ガソリンが減っていくのがメーターでわかる。時速50マイルぐらいになると、車体がふるえる。それでも友人からは車貸してくれと頼まれるようになった。ケンタッキーまで遠出したこともある。オイル交換が必要だなんて知らなかった。卒業と同時に処分した。
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1年が終わった夏休みは近郊の農場でアルバイトした。理由はいまだにわからないが、機械で借り残されたとうもころこしの実を手で引き抜くという単純作業。50人ぐらいの高校生を大学生チームが管理する。朝はつゆでびしょぬれになり、それが乾くと暑い、蚊にもさされながら一日中歩く。当然高校生はさぼる。それを管理する。指示に従わなければ首にする。いろんな性格の高校生がいて、喧嘩早い、いたずら好き、体力がついていけない、ボスのランチを持参してごまするタイプ。まったく社会の縮図である。ひと夏で10人ぐらいくびにした記憶がある。英語に自信がついた夏だった。
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前述のFraternityではハロウィーンになると町の子供たちを呼んでイベントをしていた。当然Pumpkinを用意する。ところが予算が足りないので確保できなくなった。至急20個確保しないといけない。子供たちのためである、何とかしなくては。夜中こっそり確保に向かった。満月の明るい夜だった。子供たちの笑顔をみて何かいいことをした気になった。その後警察から名指しで電話があった。出頭せよ、と。みんな真っ青になった。が、その電話は上級生からのものであった。大学周辺の商売は大変だったと思う。
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前に紹介したピザ屋は寮まで出前サービスがある。夜食として食べたいが金が足りない時にどうしたか。となりの寮の建物のTomからと電話で注文する。30分ぐらいすると届く。建物にはいってTomを探すが実在しない。しょぼしょぼ持ち帰る配達人に声をかける。What happened? Someone ordered this by mistake. I am sorry to hear that. We can buy it from you for half the price, if you want. OK. 4年間で何度かはこの手が通用した。今では考えられない。
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寮のスイートには内線電話があったが外部には電話できない。寮の地下には公衆電話が設置されており、コインを入れながら学生は家に電話をしていた。国際電話なんて考えもしなかった。しかしである、公衆電話には電話番号があった。時間を決めて、外からこの番号にかかってくるのを待つ学生がいた。なるほど。じゃあ日本からこの番号にコレクトコールしたらどうなるんだろう。日本の友人に手紙をかいて、この番号に何時にコレクトコールしてみてくれと伝えた。約束通り電話がなり、あくまでも家の電話であるかのように、Helloと応えた。This is a collect call from Japan. Do you accept this call? Yes, of course.長電話が実現した。特に用事もなかったけど。あの請求はどこにいったんだろう。
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当時Deer Hunterという映画が流行っていた。そこでRussian Rouletteのシーンがある。ある日友達4人でビール飲んでいたところ、一人が1本の缶ビールをふりだした。そして分からないように並べて一人ずつ、耳元で缶をカチッとあけようと言う。部屋を薄暗くして、順番に一人ずつ。当然誰かがビールでびしょびしょになる。これが結構面白かった。このゲームはその後Beer Hunterと呼ばれるようになった。
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東京では遊びはどこかに行くことから始まる。Galesburgでは遊びはつくるものだった。遊びに行く場所がないので、なんか面白い遊びを考える。アメリカにはFraternityという男だけの共同生活クラブがある。メンバーになるためにはいろいろな慣習がある。たとえばHell week。メンバー以外と会話禁止、上級生が要求する「宝物」をかき集める(道のStopサインとか)、古新聞を通行人に売ってくる、あこがれの女学生にエロ写真にサインしてもらう、等々。実行できないと罰ゲームがある。大勢でピザを食べにいって、その支払いをオーナーと交渉せよと言われたこともある。この時は英語も通じず逃げた。翌日学長から連絡があって、日本人が食い逃げしたという通報があった。おまえしかいない。謝りにいって皿洗いをした。毎年のことなので店も要領を得ている。地元も学生と共存していたので、こういうことが許されたよき時代だった。ちなみに道のサインを引っこ抜いたときは警察が来た。ここでも上級生があと30分で元に戻すから少し待ってくれ、と交渉していた。ストリーキングも流行っていた。マイナス10度の中で女子寮まで走りにいく。ここでも上級生が連絡していて、女子学生がカメラを持って待っている。スマホのないよき時代だった。
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やっぱりサッカーがやりたい。練習中に監督にCan I play?と正にWalkonした。シューズも借りた。中西部のリーグで上位を争うチームだったなんて知らなかった。スタメンになれた。でも20分ぐらいで交代。なーんだ、と思ったらすぐにコーナーキックの時に、Goと言われた。アメリカでは交代自由のルールなんて知らない。ノーマークで同点シュートを決めた。延長で勝った。帰りのドライブは何本の缶ビールが空いた。新聞に記事はでるし、これで友達が10倍になった。(ちなみに新聞記事は日本の実家にも郵送されている、さすが寄付集めうまい)チームメートの名前も憶えてパスが来るようになった。リーグの選抜チームにも選ばれた。MVJだと言われた。Most Valuable Japanese、そりゃそうだ一人だけだから。サッカーが秋のスポーツで本当によかった。4年の時はキャプテンにもなった。
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シカゴの空港で迷いながら、Galesburg行きの飛行機(10人乗り)に乗った。パイロットで振り返りながら次の停車駅?を案内する。まるでバス。誰も手をあげなければ着陸しない。1時間程でKnoxのある町(人口3万)に到着。日系のHane先生が迎えに来てくれた。空っぽの寮に入ってシャワーを浴びる。強風でドアが閉まり部屋に入れない。タオル姿で建物をうろうろしたらSecurityを呼んでくれるという学生がいた。外ではサッカー部が練習していた。勉強が大変だからクラブ活動は無理だろうと思っていたので、ぼーと見ていた。夜になると一晩中貨物列車の音が聞こえる。シカゴからカリフォルニアを結ぶ鉄道が走っておりFreight train capitalと呼ばれるくらい貨物列車が走る。踏切はしまったまま。でも渋滞はおきない。それぐらい人は少ない。特に学校が始まるまでは。
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学期が始まる前にBrown Universityでサマースクールに行かせてもらうことになった。まずは羽田(成田がまだ存在していなかった)からNYへ、同期の女子学生と二人で乗り込んだ。出発前夜、その子のお母さんから電話があり「NYでは若いカップルをねらう連続殺人事件が起きているみたいで、うちの娘をよろしくお願いします。」「。。。知りませんでした。わかりました。」こっちだって初めてだし、時差で疲れてるし、英語は通じない。レストランでメニューを見ても、何が出てくるのか分からない。メニューの上から順番にオーダーした。初日は「May I have a cantaloupe?」メロンの半切りが出てきた。なるほどこれがCantaloupeか。翌日はBagelを知った。