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約20年ぶりにKnoxの学長を迎えて卒業生が集まった。今年卒業50周年を迎える先輩から、将来Knoxに行くかもしれない4歳児が集合し、親睦を深めた。気が付いたら上から2番目の年齢となっていた。20年前の会ではまだ下から数えた方が早かったのに。時代と共にKnox卒業生の進路も変わっている。一緒に来日したProvostは「以前はKnoxの日本の卒業生はもっとアカデミックな分野を選ぶ人が多かったが、最近はコンサル・弁護士・金融・テックなどよりビジネス系の進路が増えている印象だ。それはすごくいい傾向だと思う。」確かにそうだ。若手の卒業生に会うには丸の内・大手町が一番。あのGalesburgから丸の内への進路は不思議な感じがするが、それが最近の傾向。学長は今後学生数を3割増やす計画らしい。日本人の数も今は20人以上となり急成長している。今回も3人の受験生が参加してくれた。早稲田から1年の交換留学組も20年後に来てくれた。みなさんありがとう。
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今でも一番のゴルフ仲間は大学のサッカーチームメートである。在学時は想像もしなかった。自宅から約3時間の場所にあるが未だにKnox Collegeという道路標識を見るとまた来てしまったという何とも不思議な気持ちになる。4年間しかいなかったけど、思い出がハードデイスクに凝縮されている。何かのきっかけでそういう記憶のかけらが戻ってくる。キャンパスには新しい建物もあるが基本的には変わっていない。街並みも同じ。先生も結構残っている。現町長は大学の友人だし元町長はサッカー部のコーチだ。ネットの電波はあるが、スタバもウーバーもない。
創立は1837年。Abolishionistといって奴隷反対運動家によって作られた。全米で5番目ぐらいに男女共学を始めているリベラルな大学である。クリントン大統領のChief of staffのPodesta氏が卒業生であることもあり、卒業式のスピーカーには民主党の政治家がよく来ている。オバマ、クリントン、Albright国務長官、Durbin(上院議員)。リンカーン大統領にも名誉学位が授与されている。
海外からの学生が急増しており今は2割近い(80か国)。日本からも14人ぐらい。POC(People of color、白人以外)が半分を占めている。リベラルな思想は変わっていないと思う。
お世話になったバンクロフト大使も同校の卒業生であり、キャンパス近くに墓地がある。
創立は1837年。Abolishionistといって奴隷反対運動家によって作られた。全米で5番目ぐらいに男女共学を始めているリベラルな大学である。クリントン大統領のChief of staffのPodesta氏が卒業生であることもあり、卒業式のスピーカーには民主党の政治家がよく来ている。オバマ、クリントン、Albright国務長官、Durbin(上院議員)。リンカーン大統領にも名誉学位が授与されている。
海外からの学生が急増しており今は2割近い(80か国)。日本からも14人ぐらい。POC(People of color、白人以外)が半分を占めている。リベラルな思想は変わっていないと思う。
お世話になったバンクロフト大使も同校の卒業生であり、キャンパス近くに墓地がある。
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帰国する前にビジネススクールに出願していた。シカゴ郊外のNorthwesternに面接に行った。大学の先生からすごい推薦状が来ているよ、と言われた。なんて書いてあるんですかと聞いたところ、足立というのはいい学生でどのトップスクールにいっても上位1割で卒業できるとある。どう思う?と逆に聞かれた。結果何年か働いてからいらっしゃい、という条件付きの合格だった。経理の教科書を書いていたKnoxの先生のお陰である。(後日談:結局上位1割では卒業できなかった)
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KnoxにOld Mainという建物がある。上院議員選挙で後のリンカーン大統領がダグラス候補と有名な対話をしたことが知られている。その大学に在籍しているという情報で、日本からある知人が会いに来るという。ついにその人は現れなかった。後日談で分かったこと。リンカーンの一番有名なスピーチはペンシルバニア州のGettysburgでの演説である。KnoxはGalesburgにある。なんとその人はGettysburgに行って電話帳で私の名前を探したが見つからない。Knoxという大学もない。本当にそんな大学あるのかと聞かれた。インターネットがなく、手紙のやりとりの時代だった。
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当時Deer Hunterという映画が流行っていた。そこでRussian Rouletteのシーンがある。ある日友達4人でビール飲んでいたところ、一人が1本の缶ビールをふりだした。そして分からないように並べて一人ずつ、耳元で缶をカチッとあけようと言う。部屋を薄暗くして、順番に一人ずつ。当然誰かがビールでびしょびしょになる。これが結構面白かった。このゲームはその後Beer Hunterと呼ばれるようになった。
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寮のスイートには内線電話があったが外部には電話できない。寮の地下には公衆電話が設置されており、コインを入れながら学生は家に電話をしていた。国際電話なんて考えもしなかった。しかしである、公衆電話には電話番号があった。時間を決めて、外からこの番号にかかってくるのを待つ学生がいた。なるほど。じゃあ日本からこの番号にコレクトコールしたらどうなるんだろう。日本の友人に手紙をかいて、この番号に何時にコレクトコールしてみてくれと伝えた。約束通り電話がなり、あくまでも家の電話であるかのように、Helloと応えた。This is a collect call from Japan. Do you accept this call? Yes, of course.長電話が実現した。特に用事もなかったけど。あの請求はどこにいったんだろう。
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前に紹介したピザ屋は寮まで出前サービスがある。夜食として食べたいが金が足りない時にどうしたか。となりの寮の建物のTomからと電話で注文する。30分ぐらいすると届く。建物にはいってTomを探すが実在しない。しょぼしょぼ持ち帰る配達人に声をかける。What happened? Someone ordered this by mistake. I am sorry to hear that. We can buy it from you for half the price, if you want. OK. 4年間で何度かはこの手が通用した。今では考えられない。
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前述のFraternityではハロウィーンになると町の子供たちを呼んでイベントをしていた。当然Pumpkinを用意する。ところが予算が足りないので確保できなくなった。至急20個確保しないといけない。子供たちのためである、何とかしなくては。夜中こっそり確保に向かった。満月の明るい夜だった。子供たちの笑顔をみて何かいいことをした気になった。その後警察から名指しで電話があった。出頭せよ、と。みんな真っ青になった。が、その電話は上級生からのものであった。大学周辺の商売は大変だったと思う。
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最初1年間はとにかく手紙を書いた。図書館で宿題というよりは親や友人に手紙を書いていた。郵便を取りに行くのが楽しみだった。親との手紙のやりとりを父が退職後本にした。冗談はわからないが一緒に笑った、というタイトルは留学体験者はみな共感することだと思う。在庫がなくなったので今はブログになっている。Knoxの図書館にはまだあると思う。
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イリノイ州の冬は厳しい。1月、2月は最高気温でも氷点下であることが普通。この長い冬が終わって雪が溶けて、久しぶりに地面の上を歩いた時の感慨を今でも思い出す。雪国を舞台にした小説を初めて理解した気分になった。東京人には実感できないなあとしみじみ感じた。
春学期になって野球部のシーズンが始まると言う。先輩からおまえもトライアウトしてみたらどうかと言われた。Sadaharu Ohが有名だった。野球は小学校以来やっていないが、サッカーでもできたから何とかなるかもしれないと思った。トライアウトで感じたことは、軟式と硬式の違い。送球の早さ。全然打てない。数日後監督から、Cutの通告を受けた。おまえがいると捕球しそこなったボールでケガ人がでそうだから、と言われた。ちょうとピアノの練習もしていて、野球ではれた手をみて、先生がやめたほうがいい、と忠告してくれた。
春学期になって野球部のシーズンが始まると言う。先輩からおまえもトライアウトしてみたらどうかと言われた。Sadaharu Ohが有名だった。野球は小学校以来やっていないが、サッカーでもできたから何とかなるかもしれないと思った。トライアウトで感じたことは、軟式と硬式の違い。送球の早さ。全然打てない。数日後監督から、Cutの通告を受けた。おまえがいると捕球しそこなったボールでケガ人がでそうだから、と言われた。ちょうとピアノの練習もしていて、野球ではれた手をみて、先生がやめたほうがいい、と忠告してくれた。