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渡米までの半年間何をしたのか。自由が丘のタイピスト学校に女子生徒に囲まれて。。。というのはあまり大事なことではない。文化人類学者でKJ法創立者である川喜田先生との出会いがあった。中学校の恩師の紹介で川喜田研究所でアルバイトすることになった。野外科学の研究で、質的なデータの分析をするユニークな方法である。観察、意見などをラベルに書とめ、そのラベルをかるたのように並べて、データが何を語ろうとしているのかをまとめるメソッドである。合宿などにも参加させて頂いて面白い社会人にも巡り合えた。渡米前に先生から、こういう言葉を頂いた。「足立君、山登りで目的地にたどりつくためには、山頂ばかり見ていてはだめだよ。道端の花にも目をむけて楽しまなくっちゃ。」すばらしいメッセージだった。

渡米後、文化人類学者になったつもりで毎日すごした。いろいろな失敗、観察もすべて客観的なデータとして、このKJ法で日記に残した。不思議なもので、こうして自分の生活を客観視すると、たいして悩むことはなかった。日本人はこういう時にこういう気持ちになるのか、なるほど、という感じの毎日だった。今でもその習慣が残っている。
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なぜ留学したのか?とにかく家を離れたかったというのがある。両親は小学校の教員で一人っ子。教員の世界はものすごく狭いなあという印象があったので、一人っ子でもあり大学は地方に行こうと思っていた。横浜翠嵐高校のサッカー部でもキャプテンしていたりして、将来は海外でプレーしてみたいという気持ちはあった。だから英語も一生懸命だった。3年の夏の大会が終わって受験勉強だなあと思っていた時に、グルー基金という留学奨学金制度を聞いて応募したところ、運よく合格。12月に結果が出たので、受験勉強終了。タイプの学校に通った。合格が決まった時に、基金の事務局の方から、「足立君おめでとうございます。今年はKnox進学です。」「ありがとうございます。」「Knoxってどこにあるんですか?」という会話があったのを思い出す。手持ちの地図にも出ていない。でも歴史のある大学で全額の奨学金を頂ける。国内の地方の大学より安いし、サッカーも出来るだろうということで飛びついた。
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最近、現役の学生と話していて、40年前のエピソードを聞かれたので少し面白おかしく話をした。それが意外に好評みたいだったので、形に残すことにした。学生生活のネタだけでなく、その後のことも含めて。近年中高生の留学を支援する活動が活性化しているので、Why留学とかHow to留学ではなく、留学の出口戦略、つまり留学後の人生をテーマにしようと思う。

留学後の40年を振り返るとこういう以下の構図になる。高校生との話で使うスライドで、留学すると皆さんの人生も変わるし、家族や友人、後輩の人生も変わります、というメッセージ。ただこの図は事前に頭の中にあったものではなくて、あくまでも、後つけの説明である。人生プランなんて出来ないのだから。

いずれにしても半生を振り返って一言で表現するとすれば「English is your future.」であろうか。
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この物語は150年前にはじまる。時は幕末、4代前の祖父・益田右衛門介(長州藩家老・写真中央)がペリー提督の黒船来航時に浦賀奉行として任命される。のち禁門の変で自決の刑を言い渡される。

1932年米国ジョセフ・グルー大使が日本に赴任。大使夫人アリスは実はペリー提督の末裔であった。戦後グルー大使の意向・寄付を基に、日本人学生の留学を支援するグルー基金が発足。

1976年、この尊王攘夷のリーダーの末裔が、黒船船長の末裔が創立した基金によりアメリカ留学をすることになった。
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