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前に紹介したピザ屋は寮まで出前サービスがある。夜食として食べたいが金が足りない時にどうしたか。となりの寮の建物のTomからと電話で注文する。30分ぐらいすると届く。建物にはいってTomを探すが実在しない。しょぼしょぼ持ち帰る配達人に声をかける。What happened? Someone ordered this by mistake.  I am sorry to hear that.  We can buy it from you for half the price, if you want.  OK.  4年間で何度かはこの手が通用した。今では考えられない。
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寮のスイートには内線電話があったが外部には電話できない。寮の地下には公衆電話が設置されており、コインを入れながら学生は家に電話をしていた。国際電話なんて考えもしなかった。しかしである、公衆電話には電話番号があった。時間を決めて、外からこの番号にかかってくるのを待つ学生がいた。なるほど。じゃあ日本からこの番号にコレクトコールしたらどうなるんだろう。日本の友人に手紙をかいて、この番号に何時にコレクトコールしてみてくれと伝えた。約束通り電話がなり、あくまでも家の電話であるかのように、Helloと応えた。This is a collect call from Japan.  Do you accept this call? Yes, of course.長電話が実現した。特に用事もなかったけど。あの請求はどこにいったんだろう。
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当時Deer Hunterという映画が流行っていた。そこでRussian Rouletteのシーンがある。ある日友達4人でビール飲んでいたところ、一人が1本の缶ビールをふりだした。そして分からないように並べて一人ずつ、耳元で缶をカチッとあけようと言う。部屋を薄暗くして、順番に一人ずつ。当然誰かがビールでびしょびしょになる。これが結構面白かった。このゲームはその後Beer Hunterと呼ばれるようになった。
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東京では遊びはどこかに行くことから始まる。Galesburgでは遊びはつくるものだった。遊びに行く場所がないので、なんか面白い遊びを考える。アメリカにはFraternityという男だけの共同生活クラブがある。メンバーになるためにはいろいろな慣習がある。たとえばHell week。メンバー以外と会話禁止、上級生が要求する「宝物」をかき集める(道のStopサインとか)、古新聞を通行人に売ってくる、あこがれの女学生にエロ写真にサインしてもらう、等々。実行できないと罰ゲームがある。大勢でピザを食べにいって、その支払いをオーナーと交渉せよと言われたこともある。この時は英語も通じず逃げた。翌日学長から連絡があって、日本人が食い逃げしたという通報があった。おまえしかいない。謝りにいって皿洗いをした。毎年のことなので店も要領を得ている。地元も学生と共存していたので、こういうことが許されたよき時代だった。ちなみに道のサインを引っこ抜いたときは警察が来た。ここでも上級生があと30分で元に戻すから少し待ってくれ、と交渉していた。ストリーキングも流行っていた。マイナス10度の中で女子寮まで走りにいく。ここでも上級生が連絡していて、女子学生がカメラを持って待っている。スマホのないよき時代だった。
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やっぱりサッカーがやりたい。練習中に監督にCan I play?と正にWalkonした。シューズも借りた。中西部のリーグで上位を争うチームだったなんて知らなかった。スタメンになれた。でも20分ぐらいで交代。なーんだ、と思ったらすぐにコーナーキックの時に、Goと言われた。アメリカでは交代自由のルールなんて知らない。ノーマークで同点シュートを決めた。延長で勝った。帰りのドライブは何本の缶ビールが空いた。新聞に記事はでるし、これで友達が10倍になった。(ちなみに新聞記事は日本の実家にも郵送されている、さすが寄付集めうまい)チームメートの名前も憶えてパスが来るようになった。リーグの選抜チームにも選ばれた。MVJだと言われた。Most Valuable Japanese、そりゃそうだ一人だけだから。サッカーが秋のスポーツで本当によかった。4年の時はキャプテンにもなった。
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シカゴの空港で迷いながら、Galesburg行きの飛行機(10人乗り)に乗った。パイロットで振り返りながら次の停車駅?を案内する。まるでバス。誰も手をあげなければ着陸しない。1時間程でKnoxのある町(人口3万)に到着。日系のHane先生が迎えに来てくれた。空っぽの寮に入ってシャワーを浴びる。強風でドアが閉まり部屋に入れない。タオル姿で建物をうろうろしたらSecurityを呼んでくれるという学生がいた。外ではサッカー部が練習していた。勉強が大変だからクラブ活動は無理だろうと思っていたので、ぼーと見ていた。夜になると一晩中貨物列車の音が聞こえる。シカゴからカリフォルニアを結ぶ鉄道が走っておりFreight train capitalと呼ばれるくらい貨物列車が走る。踏切はしまったまま。でも渋滞はおきない。それぐらい人は少ない。特に学校が始まるまでは。
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学期が始まる前にBrown Universityでサマースクールに行かせてもらうことになった。まずは羽田(成田がまだ存在していなかった)からNYへ、同期の女子学生と二人で乗り込んだ。出発前夜、その子のお母さんから電話があり「NYでは若いカップルをねらう連続殺人事件が起きているみたいで、うちの娘をよろしくお願いします。」「。。。知りませんでした。わかりました。」こっちだって初めてだし、時差で疲れてるし、英語は通じない。レストランでメニューを見ても、何が出てくるのか分からない。メニューの上から順番にオーダーした。初日は「May I have a cantaloupe?」メロンの半切りが出てきた。なるほどこれがCantaloupeか。翌日はBagelを知った。
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渡米までの半年間何をしたのか。自由が丘のタイピスト学校に女子生徒に囲まれて。。。というのはあまり大事なことではない。文化人類学者でKJ法創立者である川喜田先生との出会いがあった。中学校の恩師の紹介で川喜田研究所でアルバイトすることになった。野外科学の研究で、質的なデータの分析をするユニークな方法である。観察、意見などをラベルに書とめ、そのラベルをかるたのように並べて、データが何を語ろうとしているのかをまとめるメソッドである。合宿などにも参加させて頂いて面白い社会人にも巡り合えた。渡米前に先生から、こういう言葉を頂いた。「足立君、山登りで目的地にたどりつくためには、山頂ばかり見ていてはだめだよ。道端の花にも目をむけて楽しまなくっちゃ。」すばらしいメッセージだった。

渡米後、文化人類学者になったつもりで毎日すごした。いろいろな失敗、観察もすべて客観的なデータとして、このKJ法で日記に残した。不思議なもので、こうして自分の生活を客観視すると、たいして悩むことはなかった。日本人はこういう時にこういう気持ちになるのか、なるほど、という感じの毎日だった。今でもその習慣が残っている。

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なぜ留学したのか?とにかく家を離れたかったというのがある。両親は小学校の教員で一人っ子。教員の世界はものすごく狭いなあという印象があったので、一人っ子でもあり大学は地方に行こうと思っていた。横浜翠嵐高校のサッカー部でもキャプテンしていたりして、将来は海外でプレーしてみたいという気持ちはあった。だから英語も一生懸命だった。3年の夏の大会が終わって受験勉強だなあと思っていた時に、グルー基金という留学奨学金制度を聞いて応募したところ、運よく合格。12月に結果が出たので、受験勉強終了。タイプの学校に通った。合格が決まった時に、基金の事務局の方から、「足立君おめでとうございます。今年はKnox進学です。」「ありがとうございます。」「Knoxってどこにあるんですか?」という会話があったのを思い出す。手持ちの地図にも出ていない。でも歴史のある大学で全額の奨学金を頂ける。国内の地方の大学より安いし、サッカーも出来るだろうということで飛びついた。
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最近、現役の学生と話していて、40年前のエピソードを聞かれたので少し面白おかしく話をした。それが意外に好評みたいだったので、形に残すことにした。学生生活のネタだけでなく、その後のことも含めて。近年中高生の留学を支援する活動が活性化しているので、Why留学とかHow to留学ではなく、留学の出口戦略、つまり留学後の人生をテーマにしようと思う。

留学後の40年を振り返るとこういう以下の構図になる。高校生との話で使うスライドで、留学すると皆さんの人生も変わるし、家族や友人、後輩の人生も変わります、というメッセージ。ただこの図は事前に頭の中にあったものではなくて、あくまでも、後つけの説明である。人生プランなんて出来ないのだから。

いずれにしても半生を振り返って一言で表現するとすれば「English is your future.」であろうか。
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